■日本社会状況の変化は医学に対する挑戦
20世紀の前半、抗生物質開発の成功で感染症疾患が抑えられ、医学、薬学は数多くの人々の命を救った。ところが、20世紀の後半から、ウイルス、細菌よりも、生活習慣不適切による生活習慣病が人々を悩ませるようになった。現在の医薬学は感染症疾患に有効であるが、生活習慣病に対しては、有効な予防法と治療法は少ない。
一次予防に関しては、西洋医学ではウイルス、細菌を詳しく研究してきたので、ワクチンのような伝染病の予防法が開発された。ところが、高血圧、心臓病、脳卒中、糖尿病等の生活習慣病を予防することには、ワクチンは無力になる。今までの新薬にも、生活習慣病を予防できるものはないのである。
生活習慣病になった後の二次予防に関しては、今までの西洋医学では不十分である。高血圧の例を見て分かるように、現在では、高血圧の治療の新薬は利尿剤、交感神経抑制剤、血管拡張剤に分けられる。3者とも血圧を一時的に下げるが、どちらも根本治療方法とは言えない。利尿剤は血液の水分のみを排出、循環血流量の減少による心臓負担を減らす。そして、一時的に最高血圧を下げるが根治できない。交感神経抑制剤はストレスによる細動脈の収縮の高血圧に効果があるが、高脂血症による高血圧にはさほどの効果はない。血管拡張剤は無理に血管を拡張することができるので、血圧を下げる効果がある。ところが、血管拡張剤は血管を軟化し、血管をきれいにする効果がないため、いくら血圧を下げても、血管障害による心脳の血栓と出血に対して予防と治療作用はない。
従って、医者の努力、高血圧治療の新薬の開発にもかかわらず、日本の1965年から1996年までの流れを見ると、高血圧症就診患者は200万人から749万人に、心臓病就診患者は80万人から204万人に、脳卒中就診患者は50万人から173万人に増加した。つまり、単なる利尿剤、交感神経抑制剤、血管拡張剤を利用しただけでは、高血圧性疾患の治療の理想には程遠い。だから1995年の年間医療費では、高血圧症に1兆6359億円、心臓病に6862億円、脳卒中に1兆8547億円をそれぞれ使用したわけである。つまり血行血管障害に関する生活習慣病は、人間の健康だけでなく、日本の医療財政にも影響を及ぼす問題になる。
社会の進歩で、病気の種類は感染症から、高脂血症、高血圧、糖尿病、心脳血管障害のような生活習慣病に変化することとなった。そして、今までの医学の理論、予防、治療方法では対応し切れなくなり、生活習慣病に適切な医学理論、適切な予防と治療法が必要となった。
■自然とのバランスから健康と病気を考える
健康と病気についての考えは様々あったが、WHOは肉体、精神、社会、霊における苦痛のない状態を健康と考えるようになった。しかしどうも健康の概念をうまく説明していなかったような感じがする。
我々人間はいまから150万年前に生まれたのであるが、それ以前のことを考えてみると、地球は46億年前に誕生、その時には、無機物のみの世界であった。その後、有機物質が生まれ、そして、約40億年前、生命が生まれた。以後、生命の40億年の旅に、ウイルス、細菌のような微生物と、野菜、果物、米のような植物と、貝、魚のような海洋動物などの様々な形の生命体が生まれ、そして、海洋動物から、陸上動物になったものもあるし、ついに、猿のような高級動物に進化し、150万年前頃、人類に進化してきたわけである。
つまり、地球という宇宙の小自然がなければ、その小自然46億年の進化がなければ、人間は存在するはずがない。自然は人間の母である。人間は自然の子供である。人間が生きてゆくためにあらゆる物(空気、光、水、食べ物)は全部自然からもらう。自然はたくさんの子供を作ったが、その中でバランスを取れる子供しか生き続けられない。恐竜は大きく強いけれど、自然とのバランスが取れずに絶滅したのである。人間は小さく弱いけれど、うまく自然と付き合い、自然とのバランスを取れるから、今日まできたわけである。自然とのバランスを取れる時には、血圧、血脂、血糖、体温などは高くもないし、低くもない。皮膚と粘膜は凸(できもの)もなく、凹(潰瘍)もない。この状態は健康状態である。つまり、健康というのは人間が自然とのバランスを取れる状態である。従って、人間は自然とのバランスが崩れれば、血圧、血脂、血糖、体温などは高くなる可能性もあるし、低くなる可能性もある。皮膚と粘膜は凸(できもの)も、凹(潰瘍)も可能になる。その状態は病気である。つまり、人間と自然のアンバランス状態が病気である。
■自然とのバランスが崩れる要素と対応力をつける方法
天体の回転により、自然は風寒湿燥火の変化もある。その変化は人間に影響し、人間はその変化に応じて、適切な対応方法を取れば、バランスを維持し、風邪などにはならない。逆に天気が急に変わり、過剰に変わる(寒すぎ、暑すぎ、長雨、あるいは全然雨が降らないなど)等の時にもし対応できないのであれば、風邪、筋肉痛、関節痛などの病気が発生する。
人間に対する自然の影響は気象条件だけでなく、空気、水、食べ物もある。人間のあらゆるエネルギーは自然(空気、水、食べ物)から取ることができる。きれいな空気、良い水(きれい、ミネラル豊富な水)、良い食べ物(自然のエネルギーが貯まる微生物、植物、動物)をバランスよく摂取することにより、人間は自然の良いエネルギーを取り、元気に生きてゆくことができる。人間が生きるためには絶えず水分、酸素、ミネラル、栄養素などを必要とする。このような物はほとんど自然から摂取しなくてはならない。
そして、このような物を食べた後、腸管の微小血管、微小リンパ管に進入し、そして、肺から入った酸素と合わせて空気、水、食べ物の自然のエネルギーを合わせて、血管に沿って全身に巡り、そして、一部のものは微小血管から漏れて各組織の細胞の新陳代謝を維持する。つまり、血液内の水分、ミネラル、栄養素などは全部自然から呼吸と食事により、胃腸と肺より吸収したものである。酸素以外の成分はほとんど腸より自然から摂取したものである。体の各組織、細胞を構成する原料、新陳代謝を維持するものは、両親からもらった遺伝子の他は、全部自然から摂取したものである。
バランス良く食べることにより、人間は元気になるが、自然から摂取したもの(空気、水、食べ物)が異常(ミネラル不十分な水、不十分な自然の力、栄養素を貯めない食品、汚れた空気など)であれば、当然ながら、血液は汚れ、栄養不十分になり、ついに各組織、各細胞も異常になり、元気が弱くなる。
元気な人は自然とのバランスと取る力が強く、そして、気象条件の変化に対しても、ストレスに対しても、アルコールと肉食の過食に対しても、抵抗能力があるので健康を維持できる。
元気が弱くなる人は気象条件の変化、ストレス、アルコールと肉食の過食等の影響に対し、うまく抵抗できなくなり、自然とのバランスが崩れやすく病気になりやすい。
元気を作るのは、予防と治癒力を作ることである。いかに元気を作るのかは、現代医学の弱い部分である。生活習慣病を予防する元気、過食に抵抗する元気、ストレスに抵抗する元気をどうやって作るか。薬品、化学製品はそのものが元気がないから、人間の元気を作ることは無理である。人間の元気は自然の元気あるものを摂取して獲得する。空気、水、細胞を持つ微生物、植物、動物は、自然の元気あるものである。だから、われわれの日常生活では、化学製品を食べないで、椎茸・松茸(微生物)、米・野菜・果物(植物)、魚・肉(動物)を食べるわけである。人間は元気な時に、自然のバランスを維持するために、微生物、植物、動物を必要とする。病気の時には、自然のアンバランスを回復するために、さらに多くの微生物、植物、動物が必要になる。中医学は人間と自然のバランスを見て、不足しているものを補助し、余ったものを排除する医学である。補助する時にも、排除する時にも、使われるものはほとんど自然の微生物、植物、動物より組み立てたものである。中医学には、気象条件に抵抗する力、過食に抵抗する力、ストレスに抵抗する力を補助するものもあるし、自然の過剰影響を排除するものもある。
西洋医学だけでは、なかなか治らない病気があっても、自然のものでよく改善することができる。例えば、高脂血症、高血圧には、山査子、丹参の長期服用は有効である。糖尿病には、単純に血糖を下げるだけでなく、脾臓のランゲルハンス氏島を回復し、治療する金銭柳を服用する。花粉症の体質を改善するためには、黄耆を服用する。アトピーの体質を改善するには、硬水風呂の入浴など、自然の予防と治療方法は中国、日本および他の国にも多数ある。
ところが、自然療法が良いからといってでたらめに使用してはいけない。もともと弱い人に、排便を促すものを使用したりすると、バランスを回復できないばかりか、体力をさらに消耗するおそれがある。しっかり勉強しなくてはならない。
■自然医学との出会い
私の出身校は中国の遼寧省瀋陽市にある遼寧中医大学である。大学は西洋医学と中医学を両方教える。中医学には、中医基礎理論、中医診断学、中薬学、方剤学、中医内科学、中医外科学、中医産婦人科学、中医小児科学、中医皮膚科学、中医耳鼻咽頭科学などの講座がある。西洋医学には、解剖学、組織学、生理学、病理学、薬理学、微生物と免疫学、診断学、内科学、外科学などの講座がある。だから、この大学で育った医師は西洋医にも中医にもなることができる。
大学には3ヶ所の附属病院がある。第一付属病院に通っている患者は平均3700人/日、入院患者は1000人に近い。その外来と入院の患者への治療は8割が中医学(漢方、鍼灸など)である。
1989年夏、国際自然医学会の森下敬一先生ご一行がわが遼寧中医大学を訪問した時、当大学の孫学長が森下敬一先生の特別講演会を主催した。私もこの講演会およびその後の歓迎宴会に出席し、森下敬一先生とのお付き合いが始まった。その時の印象として残ったのは、森下先生の「腸造血」理論だった。
その理論は中医学の造血理論(腸から吸収した水、ミネラル、栄養素が血液の原料である)と相似し、また、中医学がほとんど食べ物、生命力を持つ微生物、植物、動物などで体を調節するという治療方法は自然医学の食事療法と似ている。
そして、自然医学と中医学をいかに密着させ、交流するかを考え始めた。10年前の日本では漢方と東洋医学を知っている方はいたが、中医学というと、どんなものか知っている人はごく僅かであった。そして、私が日本語で書いていた『中医基礎理論』という本を森下先生に送った。その後、森下先生のご支援、『自然医学』編集部の方々のご協力で、「中医学入門」という題で連載し始め、10年間、80余回に渡り、中医学の根本の考え方、診察方法、中薬、方剤、薬膳、生活習慣病の予防と治療方法等を紹介した。日本では、いろいろな健康雑誌、漢方雑誌があるが、『自然医学』誌のように中医学をシリーズで連載し、紹介したものは少ない。
1991年、私は慶應義塾大学医学部消化器内科の訪問研究員として来日、消化器の免疫異常と微小循環障害に関する疾患の漢方療法とそのメカニズムを研究した。
1998年4月、遼寧中医大学が東京で附属日本中医薬学院を開設した。現役の医師、薬剤師、栄養士、針灸師等医療免許保有者に中医学の教育を行う。社会人、家庭の主婦には、健康と予防の知識を伝える。
日頃仕事でお忙しい方々が、平日の退勤後毎週1回、あるいは、土、日のどちらかを休みなく中医学を勉強する姿を見て、とても感動する。
そして、『自然医学』誌に連載した原稿の一部を再編集して当学院の教育材料としても使用している。自然医学が日本に普及すると共に、中医学も紹介され、『自然医学』誌が中医学の日本での普及に貢献したといっても過言ではない。
いかに未病時に予防するか、あるいは病気の初期に二次予防をすることができるかが、医学の課題となる。特に、生活習慣病の予防と治療に関しては、生活習慣を改善しなくてはならない。自然の気象変化に対する自己調節、食事の調節、ストレス解消などは大事で、その理論と臨床経験の弱い現代医学の代わりに、自然とのバランスをよく考える中医学と自然医学がますます期待される。そして、中医学と自然科学をひとりでも多くの方に伝えることがわれわれの使命である。